「なぜ自分を抑えてしまうの?」ストレスの原因を明確にし、人生を好転させる法【久瑠あさ美・連載第11回】
久瑠あさ美のメンタルトレーニング実況中継【第11回#2講評】
■甲斐荘さんの「無反応」の正体は?
久瑠:甲斐荘さんは、「過去、役に立ててきたこと」を振り返ったときに、すごく「無反応」が多かったですよね。改めて、これはなぜかと問われたら、どう答えますか?
甲斐荘:まず書き出したものに快、不快をつけていって、どちらでもなかったものを「無反応」にしたんだと思います。快をつけたのは「体感として面白かったこと」だったのに対して、不快は「納得いかないこと」だったと思います。「人よりはできるけど、プロのレベルじゃない」とか。「書店の飛び込み営業をした」とか。それって俺のやることじゃないだろ、他にできるやつがいるだろ。「やらされてた感」が不快に繋がってるんですよね。
久瑠:要するに、自分で能動的にやってない。他者要請ですね。
甲斐荘:そうですね。「趣味としては得意のレベルかもしれないけど、なんで仕事としてやらないといけないんだ」ってことも「不快」に挙げていますね。そりゃあ曲は作れるし、歌だって普通の人よりは歌えるけど、仕事でやることじゃないだろって。「クオリティの低いことをやりたくない、やらされたくない」ということなんだと思います。
久瑠:それが「他人に対しての不快感」になっているんですね。
他人に対する無能感に対して、甲斐荘さんには「できることをやれる自分」の像がある。そこに到達できていない、つかめてないことに対しての、不安や苛立ちが感情に落ちている。
「不快なのか快なのか」というワークをやった目的は、感情次元に落とすことによって、自分のウィークポイントを見つけ出すことです。「何が自分を下げるのか」という、不快な感情をあえて抽出してみたんです。甲斐荘さんにとって、それは何なんでしょうか?
甲斐荘:改めて見返してみると、先生が仰るとおり「他人が関わってる時に不快」という特徴が、どれからも出てるような気がします。ひどい言い方ですけど、「足を引っ張られたくない」みたい気持ちがすごく強いんです。
久瑠:そこですね。それぐらい、甲斐荘さんは「自分はちゃんとやりたい」気持ちが強いんだと思います。
甲斐荘:そうなんです。「ちゃんとしたい」んですよね。
久瑠:甲斐荘さんは、その「ちゃんとしたい」にすごく苦しんできたと思います。当然、自分のことであればちゃんとできる、コントロールをしてきた、というのが甲斐荘さんの在り方で、たからこその今があるのだし、だからこそ、ちゃんとさせてくれないものに対しての嫌悪感がものすごく強い。
甲斐荘:そうですよね、「他人のせいで自分がちゃんとできない」ことに、ものすごく嫌悪感があるんですよね。言い換えると、「不快」に挙げたものは「なんで俺が無反応なものがお前等はできないんだ」みたいな感情なのかもしれない。
久瑠:そうなんですよ。その観点に気がついたうえで、そこから「無反応」を深堀りすることで見えてくるものがあるはずです。
甲斐荘:その意味では、自分が「無反応」だと思ってるものというのは、「そこから外れた時にすごく感情が揺さぶられる」ということですよね。単純な意味での「無反応」ではない。いやぁ面白いなと思いました。
久瑠:感情が揺さぶられることが嫌なんです。
甲斐荘:そうなんです、そうなんです。
久瑠:感情を揺さぶられることが嫌だから、何か無自覚な防御が働いていて、無反応になることでそうした感情の揺れを無意識に制御しているんです。
Memo
他の人に感情を揺さぶられることを避けて「無反応」が特徴になっています